(text内容一部)  ●●●●●●書籍申し込みペ−ジへ戻る●●●●●●●●●●●●価値観の共有を目指して.PDF (一部)

        はじめに                            

 ようやく人類は、植民地に関する戦争やイデオロギーの違いに因る戦争から解放されたかに見えた。しかし、いっこうに戦争は無くならないのみか、以前にも増して根本的な、宗教に基ずく価値観の違いによる争いが顕在化してきた。そして、その事は争う当事者の不幸は当然ながら、人類の将来にも重大な危機をもたらす可能性がある。

 この事に対して、多様な価値観を認め合えば、と言う意見がある。しかし、政治的緊急避難としての提言なら納得できるが、根本的解決を前提としての提言であるとなると、やはり、宗教、信仰について認識不足と言わざるを得ない。

 自らの生きる根本を否定される事は、生きる事を否定された事であり、戦わざるを得ない事になるのである。そして、我が神こそ唯一であり、彼の神は錯誤に基ずくものであると言う意識構造に依って互いに否定しあっているのである。そこには和解の余地はないのが普通である。

 実在の宇宙、世界は一つであり、これらのものが帰着する所は一つである事は自明である。これらの食い違いが生ずる原因は、全ての宗教が神と言い、仏と言い、如来と言ったその実体が明らかにされていないが故に起こる。つまり、観念の領域に止まり、実在として提示して捉えられていないが故である。

 更に、何故に明らかにされないかと言えば、これを極めるには優れた哲学的直感力が必要であり、一般の生活者にとって困難な事だからである。そこで全ての人の生活にプラス価値をもたらそうとする宗教の創始者は、実在としての実体を知ってか、或いは知らずに直感的にか、信ずるべきその実体を神とか、如来とか、言い、一般の生活者の理解しやすい形に置き換えて同じ効果を期したのである。当然ながら地域的生活条件の違いから、それぞれの宗教には、それぞれの固有の特徴はあるが、その事はそれ程問題ではない。

 ならば絶望的なのかと言えば、そうではない、唯一つ、西暦前一世紀以降に北西インドに於いて成文化され、シルクロードのオアシス国家亀茲国(現代のクチャ)の鳩摩羅什に依って漢訳された妙法蓮華経には、この神と言い、如来と言った、実体が明確に明かされてあり、その実体こそ日蓮大聖人の教えである、南無妙法蓮華経なのである。

 今日の諸学の発達や教育水準を考えると、かなりの人がこの実体を理解、把握し、至福の道に入れる可能性がある 。

 そして、少なくとも世界の各宗教の指導者が、この実体について理解出来る様になれば、観念の我が神、彼の神と言う対立から解放され、対立から協調への道が開けるであろう。

 この人類究極の光である南無妙法蓮華経と、その解説をした妙法蓮華経の単なる項目的な解説書ではなく、宗教に馴染みの少ない人々を対象に仏教用語を努めて避けて判かり易く要点を述べてみたい。そして、此の書が世界の平和に微細でも貢献出来る事を念願して捧げる。

                                    生木利春

     目次

●(一) 妙法蓮華経について

●(二) 南無妙法蓮華経とは

●(三) 究極の同一を目指して

●(四) 本尊について

●(五) 宗教の頂点 三大秘法

●(六) 天皇の条件と八尺瓊勾玉

●(七) 後醍醐天皇と王仏冥号

●(八) 日蓮大聖人の御生涯

●(九) 身延山を富士に遷す

●(十) 応化の本仏は三時三化

●(十一)電子メールによるQ&A

 

    (一) 妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)について

 

 妙法蓮華経は、我々が日常生活では覚知出来ない、しかしながら、それこそ本当の我々の存在の在り方である 南無妙法蓮華経 と言う実体を二十八品(章)にわたって説明し、その属性、在り方、また百年千年を単位で人類への展開の仕方まで述べられている。

 そして、この妙法蓮華経の予言どおりに、人類の知性の運動は展開され、現に展開されつつあるのである。

 

         仏教の成立

  今日一般的に仏教と言えば、西暦紀元前五世紀の頃、インド北部の小さな一部族国家族長の一家に、世継ぎとして生まれたゴータマ・シッタルータが開教者で、その教えが第に東アジア全体に広がったとするのが一般的である。これに対して大乗非仏説を唱え人達は、大乗教典の成文化された時期が西暦紀元前一世紀以降に主に北西インドに於い成立している事を理由に仏説では無いと説明している。

 しかし、中国の僧、法顕の伝えるところに依れば、彼は399年から414年にインドを旅行した、その時、経典はもっぱら口伝され、文字と書が用いられないことを伝えてる。釈迦の入滅から、ざあっと覧ても八百から九百年経っている。その時点においてもンド仏教に於いては口伝が行われていた事になる。  大乗非仏説は経典が文字に記された時期を主たる根拠としているが、上記の様なインの伝統からすれば、釈迦が生前に説いた大乗仏教を弟子たちが文字に記さなかったとしも、何ら不自然ではない。

 また、これらに後世に文が付加されたとしても、主要な法理に影響を与えない限り、大乗教典が釈迦仏の直説を含まないと言う事にはならない。 大乗教典もゴータマをブッタとして理想人格化して、或るいは神格化して編纂されている為に当然仏教として、ギリシャ彫刻の影響に依って出来た仏像と共に東アジア全体に広ったのである。  大乗であれ、小乗であれ、足跡を辿る追確認であり、教典は真言密教をのぞく殆どの教典でそうした立場で成文化されている。

 

       妙法蓮華経の成文化

  前一世紀以降、主に西北インドに於いて始まった成文化の運動において、大乗教典が次々と成文化された、そうした運動と共に妙法蓮華経も成文化された。

 こうした運動の中で、上座部は自らを正統仏教として、大乗仏教側を非仏説と言って差別した。これに対して、大乗仏教側は原点派を自らの悟りに主眼を置いた小さな乗り物言う意味を込め、小乗と言って差別した。

 こうした仏教の伝播は、一点から始まって次第に広がると言うイメージでは無く、少くとも中国への広がりは成文化の時期と同時進行と言うに近い。そして、至高の聖典とされる妙法蓮華はシロクロードのオアシス国家、亀茲国(現代のクチャ)の鳩摩羅什(三世紀中頃から世紀初頭)に依って、中国於いて漢訳され伝えられた。

 

       鳩摩羅什(くまらじゅう)について

 その没年は四百十三年で七十才であろうといわれている。タクラマカン砂漠を擁したタリム盆地の北側を通るシルクロードのオアシス国家である亀茲国(現代のクチャ)に、亀茲国国王の王妹を母として生まれた。諸教典を学び、そして後、妙法蓮華経と言う比類ない教えを、無欠な仏教教典として漢訳した大成者である。

 その高弟、僧肇の「鳩摩羅什法師誄」によれば、「七歳の時出家して諸学、諸教を修め十二才の時、母の故郷、月氏の亀茲国に帰り活躍した。のち、後秦の弘始三年(401)秦王姚興により国士として長安に招かれ多数の教典を訳出した。秦王姚興はその天分を惜しみ、法の跡継ぎが欲しいため、王命で女性を受けさせた」とある。

 

         月氏の仏教

 日本に於ける仏教者の間にもインドの事を「身毒」と呼ぶ人がある。例えば、「南身毒の竜樹」と言ったりする。まるで口にしただけで全身に毒が回りそうな名称である。しかし、特別な意味がある訳ではない

 中華思想の選民意識が付けた名称である事は明らかである。天照大神・日御子を卑弥呼と言う様なものであろう。シンドゥ(インド)の音写で申毒・新陶・辛頭・信度・信図等とも表記されている。この身毒は「史記」に於いて使われた表記である。

 日蓮大聖人は「月氏の仏教」と仰せである。仏教と言えば一般的にはインドと言う事であるが、インド即月氏ではない。

 月氏族はタクラマカン砂漠を擁したタリム盆地の中に於いて、他民族の圧力に依って周辺を彷徨う様に移動し、その一部は中央アジアにまで移動した部族である。中華の後漢時代の歴史書、「後漢書」西域伝によれば、「月氏民族は中華の西北辺域で遊牧生活をしていたが匈奴との戦いに破れ、西に移動し、バクトリア地方を征服して定住した。元の土地に止まった部分を小月氏と呼び、移動した部分を大月氏と呼ぶとある。

 この大月氏は五大諸候に分かれていたが、その中のクシャーナ族が強力となり、クシャーナ王として独立して、バクトリア地方を平定して更に南下してガンダーラ地方(仏像彫刻発生の地)を征服した 。王が八十才で死ぬと、その嫡子ウェマー・カドフィセスが王位を継ぎ、インドの東南深くにまで領土を広げ、栄えた。」と伝えられている。これら事を踏まえて覧れば、西北インドを中心に、その時代としては大月氏である。

 これらの事を踏まえて大まかな仏教の流れを俯瞰してみると、何より大きな前提となる事は、普遍救済的大乗仏教は、東西文明が行き交うシルクロードと関わりを持つ、その周辺に於いて存在したと言うことである。 東西のあらゆる宗教、思想、文物が交流存在し、それ等、月氏族やその他、中央アジアに定着した諸民族こそ、大乗仏教の担い手であった訳である。此の地は永い間、東西文化の行き交う世界最先端の開けた地域であったのである。

書籍申し込みペ−ジへ戻る