日蓮正宗総本山大石寺第六十七世法主と称する阿部日顕師は先に当山本門寺に対して「御
霊宝虫払大法要」の名を借り己義の「本尊論」を以て反論され、その反論の中で、宗祖であら
れる日蓮大聖人が建治二年以前に顕された所の「本尊」は「未究竟」であった、との珍説を披
露された。
日顕師のその論を平易に喩えれば、日蓮大聖人は建治二年頃迄は精神的病人であって支離
滅裂な物(本尊と称する)を書いていたが建治二年の頃より精神の健康の回復が見られ弘安
二年十月十二日に至って病本復し突如に不可思議な力を得られたとの論である。

即ち、宗教法人創価学会機関誌「聖教新聞」(昭和六十一年四月八日版)紙上で、「今、端的に
いえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまでの本尊は、外用の
上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのであります。建治三年より弘安に
至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に日蓮の御名、御花押(ごか
おう)をお示しあひばれ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足が拝される御本尊に
おいてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示したもうのであります。それ以前の
御本尊は、中央の七字に対し御名、御花押が左右にはなはだしく片寄って書かれており、これ
いまだ根本妙法蓮華経を所持し証得あそばした法界ただ一人の本仏御境界を直ちに顕わされ
ず、釈尊脱益仏法の範囲に由来する仏勅使としての義を残したもうのであります。
故に、これらの御本尊を未究竟(みくっきょう)と申し上げるのであり、 =次のペ−ジに続く=
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