本因妙歴 716 (1994) 7月16日    本 門 正 宗  (毎月16日発行)  (4)
地涌の声  〜文字とは〜 福岡 生木利春
私たちは、日常の様々な局面に於いて文字を書き使って生活しています。また、私たちが最も
大事にしている本因妙大本尊も、板に御文字を以て示されたものであります。では、文字とは
いったい何なのか今一度考え直してみましょう。
 ある日、突然、一通の電報が配達され、その電文は「チチキトク スグコイ」であったとします。
受け取った人は驚き、気もそぞろに慌てて急行列車に飛び乗って父のもとに駆けつけるであり
ましょう。だが、この電文を客観的に物として見れば「かた仮名」が九文字書かれた紙片にしか
過ぎません。
 しかし、紙に字が書いてあるだけではないか、と言って見過ごす訳には行きません。それは、
その電文に書かれている文字が、それを送った人の思い、気持ち、心そのものである事を疑わ
ないからであります。
 私たちは自分の思いとか心を伝える時、声帯(せいたい)を使い、音としての波動(言葉)を発
して伝えます。もちろん、たまには心にも無い言葉を発する事もある訳ですが、それは例外とし
て、つまり言葉とは、それを発した人の心そのものである訳です。
「心」という、眼に見えない姿、形の無いものを知るのは言葉に於いて知るのです。
 言葉は、耳で聞いて判るものであります。その言葉を眼で見て判る様にしたのが文字であり
ます。 つまり、言葉と文字は同じく心そのもの、ということであります。
ならば、本因妙大本尊の御文字は、御本仏の言葉、御心、魂そのものと拝すべきでありましょ
う。