日蓮大聖人は御述作に於いて、御自身が遭われた難に就いて事

細かに述べられておられます。これは、難に遭われた事を嘆息してお

られる訳ではない、自らが遭われた難が法華経勧持品に述べられて

いる法華経を弘通する者の遭遇しなければならない難と逐一一致して

いる事を述べられ、ご自身がこの法華経を述べた者と全く同一の境涯

に於いて法を述べている事を我々に知らしめておられるのです。

 つまり、同一の人格体である事を宣言なさっているのであります。こ

の事を法華経の行者というのであります。

 従って、日蓮大聖人は法華経と寸分違わない人であられたのであり

本尊は当然、法華経の本尊なのであります。 ならば、宝塔品に述べら

れたとうりの本尊でなくては成りません、皆令清浄、無有地獄 餓鬼 

畜生 及阿修羅 又移諸天人 置於他土でなくてはならないのです。根

本本尊が曼陀羅等である訳がないのです。

 此の宝塔(本尊)の、否、全ての宗教にとって最も重要な事が述べら

れている如来寿量品は見宝塔の状態の虚空会(永遠変わらざる生命

の存在様式)に於いて述べられているのであり、 得入無上道 速成就

仏身 は本因妙大本尊様を信じて、お示しの通りに唱題するしか絶対

に有り得無いのであります。